新組織固定法:高圧急速凍結固定法で組織の構造を維持

推薦枠だけに頼らない

要約:新しい組織固定法で真の姿に近い構造を維持

名古屋大学大学院医学系研究科 機能組織学 玉田宏美助教(当時:日本学術振興会特別研究員 PD(受入機関:名古屋大学医学系研究科 機能組織学 木山博資教授)、スイス連邦工科大学ローザンヌ校客員研究員)は、スイス連邦工科大学ローザンヌ校の Carl Petersen 教授、Graham Knott 教授らとの共同研究により、より真の姿に近い構造を維持するための生体組織固定*1法を報告しました。

非常に細かな構造を観察するためには、通常、強力な化学固定を施します。その処理により本来の細胞や組織の真の姿を大きく変えてしまう可能性が長らく懸念されていたにも関わらず、これまでの研究のほとんどがそれらの固定法に基づく結果によるものでした。そこでこの共同研究では、「高圧急速凍結固定法」という手法を用いることで、化学固定液を用いず組織を固定し、神経細胞のスパイン*2 の形態に注目してその形態変化を比較しました。従来の化学固定では、細胞間のスペースExtracelluar Space と呼ばれる間隙が大きく失われてしまいますが、高圧急速凍結固定法ではその構造が維持されることや、スパインネットと呼ばれる構造ではこれまでよりもより細い構造が維持されました。

また、本研究で計測された実測値をもとに、スパインにおける電気信号の伝わりやすさ(電気抵抗)を算出したところ、従来の化学固定法と高圧急速凍結固定法の間で差があることがわかりました。

このように、本研究では、従来の化学固定では消失してしまっていた細胞の真の姿を高圧急凍結固定法により維持することが可能であることを示し、あらゆる研究の基礎として広く影響をもたらす可能性が考えられます。本研究成果は、国際科学誌『eLife』(2020 年 12 月 4 日電子版)に掲載されました。

*1 生物から標本作製時に、細胞や組織中の脂質やタンパク質を安定した状態にし、自己融解や劣化を止める処置のこと。
*2 スパイン神経細胞の樹状突起からは多数のスパインと呼ばれる突起が出ており、神経伝達の情報を受け取る場として、情報を伝える側であるアクソンと共にシナプス結合を構成しています。スパインヘッドと呼ばれる突起の先端部分でシナプス結合を作り、スパインネックを介して樹状突起の本幹へと情報伝達していきます。

新技術のポイント

高圧急凍結固定法
  • 細かな構造を観察するために必要な電子顕微鏡の標本には、通常、強力な化学固定が必要ですが、それは細胞などの本来の姿を変えてしまう可能性が懸念されています。
  • 従来の化学固定法を用いない「高圧急速凍結固定法」を用いることで、これまで知られていたものとは異なる構造が得られました。
  • 高圧急速凍結固定法により、生物の本来の姿により近い観察像が得られる可能性があり、また、様々な研究の基となる「形」の情報として、それらの重要性が示されました。

背景

細胞の中には核、ミトコンドリア、小胞体といった細胞内小器官、オルガネラと称されるとても微細な構造物が存在します。

それら1つ1つの形の詳細を知るためには、普通の顕微鏡では難しく、電子顕微鏡による観察が必要です。電子顕微鏡では、光線の代りに電子線と呼ばれるものを使い、真空の中で観察するため、細胞や組織を生のまま見ることは不可能で、アルデヒドなどの強い薬剤による化学固定が必要です。化学固定を施すことにより、脂質やタンパクの構造が維持され、ナノスケールの構造物を観察することができます。今日の生物学で広く知られている基本的な構造の理解は、この電子顕微鏡による観察が基になっているものがほとんどです。

しかしながら、この強い化学処置により、細胞の本来の姿、構造が失われてしまっているのではないかという懸念も長らくありました。強い脱水作用などにより、繊細な細胞の膜の構造や、細胞の間に存在するスペースを失ってしまう可能性が考えられるのです。近年、顕微鏡やイメージング技術の開発は著しく、電子顕微鏡においても、これまでは一平面での正確な形の理解が求められていましたが、近年では、三次元的に微細構造が理解できるようになり、そのことから、定量的な評価、それらをもとにしたモデリングの報告も多くなされてきています。そのような状況においては、これまで以上に本来の姿に近い構造の維持が重要視されると考えられます。

研究成果

そこでこの研究では、化学固定を用いない、「高圧急速凍結固定法」という手法で標本の作製を行い、従来の化学固定法との形態の差異について検討を行いました。高圧急速凍結固定法は、液体窒素を用いた極めて低い温度で、かつ高圧をかけながら組織を凍らせることにより、その形を維持しようとするものです。

本研究では、特にマウス大脳のスパインの形態に注目しました。スパインは神経細胞の樹状突起と呼ばれる部分から出ている微細な突起構造を持ち、神経情報伝達を受容し神経細胞へその興奮を伝える構造で、その形態は情報伝達の制御に大きく関与すると考えられています。従来の化学固定では、神経組織の細胞間のスペース Extracellular space は失われてしまい、全体的にパックされたような標本になります。ところが、高圧急速凍結固定法を用いると、このスペースは保たれたままになり、不自然な細胞間の圧縮も見られません。

さらに、今回解析したスパインでは、スパインネックと呼ばれる微細な筒状の構造の径は、高圧凍結固定の方が化学固定のそれよりも極めて細い形態を示す一方で、そのほかのスパインの要素であるスパインネックの長さやスパインヘッドと呼ばれる先端部分の構造物の体積などには、2 つの固定法の間に差がありませんでした (Fig.1)。

マウス大脳皮質スパインの電子顕微鏡像と3D再構築像

Fig.1 マウス大脳皮質スパインの電子顕微鏡像と3D再構築像:高圧急速凍結固定法では細胞間隙の温存、スパインネックと呼 ばれる部分の極めて細い構造の維持が観察されます。

このことから、化学固定によるアーチファクト(人工産物)は、そこに含まれる細胞骨格や細胞膜の裏打ち構造、主たる構成生物により異なって現れる可能性が考えられました。次に、従来の化学固定法と高圧急速凍結固定法のそれぞれで計測した実測値を用いて、各種パラメータ間の相関関係、スパインネックでの電気抵抗の算出などを行いました(Fig.2)。

Fig.2 実測値に基づくスパインの 電気抵抗の算出

Fig.2 実測値に基づくスパインの電気抵抗の算出:高圧急速凍結固定法(左:Cryo)で得られた値から従来の固定法(右:Chemical)ではその抵抗値が過小評価されている可能性が考えられます。

スパインの各種パラメータの実測値は、シナプス結合の電気生理学的な機能をモデリングによって理解しようという試みで近年重視されています。その結果、高圧急速凍結固定法を用いることで、従来議論されてきたよりも大きなばらつきや電気抵抗の存在が示唆されました。

今後の展開

このようにあらゆる科学的理解の礎ともなる形の情報について、より本来の姿に近い状態での観察の重要性と、高圧急速凍結固定法を用いることによる可能性の広がりが示唆されました。電子顕微鏡の解像度に勝る顕微鏡は現在の所ありませんが、やはりその弱点として“生きたまま”の組織を見る(ライブイメージング)ができないという点が挙げられます。今後も、限りなく生物のそのままの姿を顕微鏡で捉え、その神秘を理解しようという挑戦は続きます。

本研究は、Young Researchers Exchange Programme between Japan and Switzerland (JapaneseSwiss Science and Technology Programme) (玉田宏美), 科学研究費補助金(国際共同研究加速基金)#JP17KK0191 (玉田宏美), Swiss National Science Foundation grants: #31003A_182010 (Carl Petersen), #31003A_170082 (Graham Knott) and CRSII3_154453 (Carl Petersen & Graham Knott)によって行われました。

発表論文

発表雑誌雑誌名:eLife(12 月 4 日)

論文タイトル:Ultrastructural comparison of dendritic spine morphology preserved with cryo andchemical fixation

著者:Hiromi Tamada1,2,3,4, Jerome Blanc2, Natalya Korogod1,2, Carl CH Petersen1,*, and Graham WKnott2,* (*: Corresponding Author)

所属:

  1. Laboratory of Sensory Processing, Brain Mind Institute, Faculty of Life Sciences, Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne (EPFL), Switzerland;
  2. Biological Electron Microscopy Facility, Faculty of Life Sciences, Ecole Polytechnique Fédérale de Lausanne (EPFL), Switzerland
  3. Functional Anatomy and Neuroscience, Graduate School of Medicine, Nagoya University, Japan; Japan Society of the Promotion of Sciences (JSPS), Japan
  4. School of Health Sciences (HESAV), University of Applied Sciences and Arts Western Switzerland (HES-SO), Switzerland

DOI: 10.7554/eLife.56384

プレスリリース

名古屋大学(2020) 新しい組織固定法で真の姿に近い構造を維持, 2020年12月24日.

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