背景
およそ20億年前、バクテリアが細胞の中に入り込み、細胞内でエネルギーを生産し始めた。このバクテリアは、今日我々がミトコンドリアとして知っているエネルギーの生産器官となった。
しかし、その古い話に現在、新しい流れが生まれている。 Dacheら(2020) は、The FASEB Journalにおいて、細胞外に細胞小器官を発見し、それがヒトの血中を浮遊しながら機能している可能性を報告した。 彼らは、それが細胞から放出されたミトコンドリアであり、シグナル伝達を担っている可能性を指摘しているが、その仮説を検証するにはさらなる研究が必要である。
セルフリーミトコンドリアの発見
この発見は、 Alain Thierryが率いるチームの数年をかけたプロジェクトの結果であった。Thierryは、French National Institute of Health and Medical Researchでがんバイオマーカーの研究をしている腫瘍医である。約7年前、彼らは、がんの診断マーカーとして、ヒトの血液中を循環することがすでに知られていたセルフリーミトコンドリアDNA(Cell Free Mitochondrial DNA)を研究していた。
研究者チームは、健康なヒトの血漿から抽出されたミトコンドリアDNA断片は、単なるセルフリーDNA断片よりも鎖長が長く、分解に対してより耐性があることに気付いた。 彼らは、血中ミトコンドリアDNAは、おそらく何らかの保護構造に包まれていると考えた。
まず、彼らは80人の健康なヒト血漿を詳しく調べた。 PCR、ゲル電気泳動、全ゲノムシーケンスなどのさまざまな手法を使用し、セルフリーミトコンドリアDNAの2つの異なるポピュレーションを特定した。ひとつは断片化したDNA群、もうひとつは長鎖DNA群であった。長鎖DNA群の中には、 全長のミトコンドリアDNAもあり、これは彼らのミトコンドリアDNAが何らかの保護構造に含まれるという仮説を支持するものだった。なぜなら、保護構造なしにはDNAは断片化するからである。
次に、彼らは全長ミトコンドリアDNAが血液中に存在するなら、 ミトコンドリアのタンパク質も血液中に存在すると考えた。 ゲル電気泳動を使用して、ミトコンドリアの内膜と外膜に存在する輸送タンパク質や酵素など、インタクトなミトコンドリアに存在することがわかっているタンパク質を血液中に見つけた。
さらに、顕微鏡で5人の健康なヒト血漿中のオルガネラを観察し、ミトコンドリアマーカーを見つけた。
最後に、12人のヒト血漿から抽出されたオルガネラの酸素消費量を測定するようにデザインされたアッセイを実施し、そのオルガネラが呼吸によるエネルギー生成が可能であるかどうかを確認した。その結果、健康なヒト血液中のオルガネラが実際に呼吸の場として機能しており、ミトコンドリアであることが示唆された。血漿1mLあたり20万から370万のセルフリーかつインタクトなミトコンドリアが存在すると推定されている。
これまでの報告において、ミトコンドリアが細胞の外側に存在できることはわかっていた。 Boudreauら(2014)の研究では、血小板が活性化すると機能性ミトコンドリアを放出することが示されている。例えば、血管障害に応答して血液凝固カスケードを開始するときにこの現象は起こる。
Thierryの研究は、血小板が活性化されなくとも、健康なヒトの血液中に恒常的にミトコンドリアが存在することを示した最初の研究である。彼らは、血液中のミトコンドリアが血小板の意図しない活性化によるものではないことを確認しており、 さらに、ヒトがん細胞株および非がん細胞株を使用し、培養上清中にミトコンドリアを発見した。これは、血小板のみならず、さまざまな種類の細胞がミトコンドリアを細胞外へ放出できることを示している。
Thierryは、ミトコンドリアが血液中を循環していること驚いてはいなかった。 「細菌に感染したとき細菌は血液中を循環する。細菌の子孫であるミトコンドリアが同じであっても何ら不思議なことではない」と彼は言う。
一方、University of GlasgowのJoel Rileyはこの発見に驚いた。彼は、ミトコンドリアが炎症を誘発する方法を研究している。 彼は「損傷したミトコンドリアの一部が細胞外小胞を介して細胞から放出されることはわかっているが、ミトコンドリア全体が放出されるのは非常に大きな発見だ。同時に、血液中のミトコンドリアがなぜこれほど長い間見過ごされてきたのか不思議だ。」と述べる。
これに対し、 オックスフォードでミトコンドリアを研究しているBenoît Kornmannは、「血液を対象とした研究のほとんどは細胞レベルであるため、 非常に小さいオルガネラは探そうとしない限り見つかるものではない」と言う。
セルフリーミトコンドリアの機能は?
KornmannとPicardは、セルフリーミトコンドリアが実際に完全に機能していることを確信しているわけではない。Thierryらのチームが行ったオルガネラの酸素消費量の分析において、可能性は低いものの、オルガネラが酸素を消費しているという結果は、コンタミした細胞のミトコンドリアよるものであった可能性もあると指摘している。また、セルフリーミトコンドリアは細胞から活発に放出されているのか、それとも細胞が死ぬことによって単にミトコンドリアが血液中に放出されただけなのかは不明であると述べる。
Thierryは、ミトコンドリアは特定の細胞によって活発に放出されている可能性が高く、おそらくシグナル伝達の役割を担っている言う。彼は一つのアイデアとして、細胞から放出されたミトコンドリアは、損傷を受けてミトコンドリアを必要としている別の細胞に取り込まれる例を挙げている。
Picardはこの例は現実的であると言う。 実際、いくつかの実験では、幹細胞は、損傷した細胞を救出するために、ミトコンドリアを放出することがわかっており、ミトコンドリアは隣接する細胞から別の細胞に移動することが示されている。 一部の細胞は、損傷した細胞に取り込ませるため、ミトコンドリアを血液中に放出しているのかもしれない。これは、グルコースが細胞内に貯蔵されるだけでなく血液中を循環するのと似ている。 Picardは 「生物学では、理由もなく何かしらの現象が起こることはめったにない。より多くの研究が必要だが、循環しているミトコンドリアには機能的な役割がある可能性が高いと思う。」と述べる。
Rileyは、特定の細胞が炎症シグナルとしてミトコンドリアを放出している可能性があると推測している。 その場合、がんなどの特定の疾患を持つ人々が血流中により多くの機能的ミトコンドリアを持っているのかどうかを知りたいと彼は言う。「がん患者の血液中においてミトコンドリアが増加していることが判明した場合、それはがんの早期発見に使えるかもしれない。」
診断バイオマーカーとしてミトコンドリアを使用できる可能性は、Thierryが今後の研究で明らかにしようとするテーマのひとつでである。
本内容は、Katarina Zimmer(2020)Researchers Find Cell-Free Mitochondria Floating in Human Blood, The Scientists.を和訳、編集したものです。
参考文献
- Katarina Zimmer(2020)Researchers Find Cell-Free Mitochondria Floating in Human Blood, The Scientists.
- Dache et al.(2020)Blood contains circulating cell‐free respiratory competent mitochondria, The FASEB Journal .
- Boudreau et al.(2014)Platelets release mitochondria serving as substrate for bactericidal group IIA-secreted phospholipase A2 to promote inflammation, Blood, 124(14): 2173–2183.
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