東京理科大学基礎工学部生物工学科の有村源一郎教授は、ハダニやヨトウといった重要害虫の食害を植物が認識し、防御応答が活性化されるメカニズムについての研究に取り組んでいます。
食害された植物は、まず害虫が分泌するエリシター(防御応答誘導因子)を認識し、それぞれの害虫に抵抗するための特異的かつ多彩な防御応答が引き起こされます。近年、植物のエリシター認識メカニズムに加え、植物が害虫を認識した後の細胞内外の情報伝達および揮発性化合物などを介した植物と他の生物とのコミュニケーションのメカニズムも解明されつつあります。
- 昆虫の食害に対する植物の防御応答メカニズムに関する研究で世界をリードする有村源一郎教授が、いかにして植物は植食者を認識し、食害から身を守るのかについての総説論文を発表しました。
- 植物は昆虫の食害を受けた際、害虫の唾液などに含まれる防御応答誘導因子(エリシター)を認識し、多彩な防御応答が引き起こされます。
- 近年、エリシターの認識メカニズム、植物がエリシターを認識することで引き起こされる細胞内外の情報伝達および揮発性化合物などを介した植物と他の生物とのコミュニケーションのメカニズムも解明され、次世代の有機農業技術の開発のための活路が見出されつつあります。
有村源一郎教授は、害虫による食害をめぐる植物の応答や他の生物との相互作用など、さまざまな最新知見をとりまとめ、総説論文としてTrends in Plant Science誌に発表しました。
植物の免疫機構を理解することは、農薬に依存しない次世代の有機農法の開発につながり、安心安全な食と豊かな環境づくりに貢献することができると期待されます。
研究の背景
害虫による食害を受けた植物では、通常は一時間以内、早ければ数分以内に防御応答が活性化されます。植物は長い進化の中で、害虫の分泌物に由来するエリシターに加え、植物の細胞間シグナルや空中を通じて拡散するシグナルなどの分子パターンを認識するシステムを進化させました。加えて、植物に生みつけられた害虫の卵や害虫の共生微生物なども、植物の防御応答に影響を与えることも明らかになりつつあります。本総説論文では、現在注目を集めつつあり、新たな害虫防除手法への応用も期待されるエリシターとその認識メカニズムに特に注目して議論を進めました。
研究結果の詳細
エリシターは害虫の分泌物に由来するものと植物自身が分泌するものがあります。植物はエリシターを感知すると「危機が迫っている」というメッセージを全身に伝達し、近隣の植物もこのメッセージを感知します。最もシンプルなエリシターはおそらく、植食者によって傷つけられた細胞から細胞外のスペースに漏れ出る物質でしょう。すべての細胞にはATPが含まれており、細胞外に漏出すると傷を受けていない細胞がDORN1/P2K1受容体を介してこれを感知します。細胞外ATPは、防衛応答を含むさまざまな細胞プロセスに関与する普遍的なシグナルです。そこでトマトを食害するアメリカタバコガは、アピラーゼをはじめとする複数のATP加水分解酵素を分泌することでトマトの防御応答に対抗しています。
害虫の吐き戻し液(OS:oral secretion)に含まれる成分もエリシターとして機能します。例えばツマグロクサヨトウの唾液に含まれるインセプチンは、葉緑体のATP合成酵素のジスルフィド架橋タンパク質分解断片です。インセプチンはササゲのINRという受容体様タンパク質で感知され、ジャスモン酸(JA)、エチレン、サリチル酸(SA)の合成と、その下流にある防衛応答を活性化させます。そのため、機能的なINR遺伝子を持たないダイズは、インセプチンに反応しません。これは、それぞれのエリシターに特異的な防御応答を活性化する受容体が存在することを示す例です。
また植物は、害虫から分泌されるエリシターを認識する機構も備えています。そのエリシター の一つが、OS中に含まれるリパーゼなどの消化酵素です。消化酵素に加え、FACs(fatty acid-amino acid conjugates)と呼ばれる脂肪酸とアミノ酸の複合体も、エリシターとして機能します。一般に、FACsは植食者の窒素代謝において重要な役割を果たし、害虫のOS中のFACsは植物によって同化されると考えられています。しかし、FACsはタバコやトウモロコシなどの植物ではJA産生の主要な誘導物質である一方、モデル植物であるシロイヌナズナではあまり存在しないため、その感知機構はまだほとんどわかっていません。こうした植物によるFACsの存在量の違いは、それぞれのFACs特異的な受容体を持つ特定の植物で選択的に働くことを示す傍証です。
シロイヌナズナのようにFACsに対して感度が低い植物はOSに含まれる何か他の物質をエリシターとして認識していると考えられます。たとえば、ヤガ科のSpodoptera属の幼虫(いわゆるヨトウムシの仲間)に由来するβガラクトフラノースという多糖類は、ダイズやシロイヌナズナにおける主要なエリシターであると考えられています。
小さな昆虫が吐き出した分泌物の採集は技術的に難しいことから、吸汁型の植食者に由来するエリシター分子の同定は困難でしたが、近年はゲノム配列やRNA-seqのデータベースの普及により研究が進んでいます。たとえば、ハダニの唾液腺から分泌されるテトラニンというタンパク質が、ゲノム解析から同定されました。テトラニンはインゲンマメの防御応答を活性化させるエリシターです。 コンピューター技術を用いて吸汁型植食者のエリシターやエフェクターを同定する試みも進められており、植食者の分泌物と植物のエフェクター経路の関連性の一端が明らかになりつつあります。また、近年プロテオーム解析技術の飛躍的な発展により、エリシター解析のハイスループット化が実現され、エリシター候補となる物質の同定が進んでいます。
植物は、産みつけられた植食者の卵を警告シグナルとして利用することもあり、卵の周辺の細胞を壊死させて卵を乾燥させるなどの対抗策を講じます。また、産卵管の潤滑剤や卵を固定する「のり」の役割を果たすメスの副生殖腺からの外分泌物や、オスが放出する性フェロモン、幼虫が排出するフラスと呼ばれる糞と木屑が混ざったものもエリシターとして機能します。
昆虫の体内には無数の共生バクテリアが存在しており、繁殖や消化、解毒、そして必須栄養素の供給といった重要な役割を果たしています。共生バクテリアは宿主となる昆虫だけでなく、その昆虫が食害する植物にも影響を与えます。たとえば、コロラドハムシのOS内のバクテリアは、JA/SAシグナリングの調節を介してトマトの防御応答を抑制します。一方、ツマグロクサヨトウのOS内のバクテリアは、トウモロコシにおいて、植食者によって誘導される防御応答遺伝子の発現を強化することで、トウモロコシにプラスの影響を与えます。 昆虫が植物を食べる時に生じる物理的な刺激、すなわち振動も、植物の防御応答を引き起こします。これは、茎や葉の表面に存在する毛状突起と呼ばれる細胞が機械刺激を受容することによると考えられています。実際、害虫を模したロボットによって物理的に傷つけられ続けることで、リママメはJAを介した防御応答を示すことなど、振動によって植物の防御応答が引き起こされる例が報告されています。 食害を受けた植物が、どのようにして全身にシグナルを伝えるのかも重要なトピックですが、まだよくわかっていない点が多いです。システミンという18残基のペプチドは、ナス科植物において、食害を受けた葉から食害を受けていない遠くの葉にまでのシグナル伝達を増幅させることが報告されています。しかし、システミンは局所的なJAシグナリングを増幅されるだけで、一般にシステミンだけでは長距離のシグナル伝達を媒介するのは難しいと考えられています。興味深いことに、シロイヌナズナにおいては、傷ついた細胞からのグルタミン酸の漏出は全身性のシグナルを惹起することがわかっています。
食害を受けているとき、植物は植食者誘導性揮発性物質(HIPVs;herbivore-induced plant volatiles)と呼ばれる匂い成分を放出します。HIPVsは植食者の天敵を誘引する役割に加え、近隣の植物に危機を知らせる役割も担っていることがわかってきました。最近の研究からは、HIPVsは同じ個体内だけでなく、近隣の個体間におけるコミュニケーションも促進し、HIPVsを受容した植物組織では防御応答が引き起こされることが明らかになっています。近隣には血縁個体が多いと期待されることから、こうしたHIPVsを介した植物同士のコミュニケーションは、自分自身の包括適応度(※1)を上げることにつながるため、進化したと考えられています。
また、植物は異なる種の植物が放出したHIPVsにも反応することができます。例えば、ミントの近くで栽培されているダイズとBrassica rapa(アブラナ科アブラナ属の野草)は、ミントが放出する揮発成分を「盗み聞き」ならぬ「盗み嗅ぎ」することで、自身の防御活性を高めることが知られています。
近年、DNAの配列変化を伴わない遺伝子発現の変化を研究するエピジェネティクスという分野の発展が著しく、様々なストレスに対する適応の背景にはエピジェネティックな制御が関わっていることがわかりつつあります。例えば、植物では一度食害を受けた後、再び食害を受けた場合にはより強力に、より早く反応し、こうした反応は世代を通じても受け継がれることが知られています。こうした現象はエピジェネティックな制御によるものと考えられています。
以上のように、近年の研究から様々な植物におけるエリシターや防御シグナル経路が同定されつつあります。今後遺伝子組換え農作物が一般に普及すれば、害虫に対する防御応答を活性化させるエリシター特異的な受容体を持つ作物を作出することができると期待されます。また、空気を介して伝達されるシグナルの利用も、環境にやさしい害虫管理技術として有望です。
近年、農薬散布などによる土壌や水域の環境汚染が問題視されています。また、農薬による生物多様性への影響も深刻です。植物の免疫機構を理解することで、農薬に依存しない次世代の有機農法の開発につながり、安心安全な食と豊かな環境づくりに貢献することができます。
※ 本研究は、MEXT新学術領域研究(18H04786、20H04786)、JSPS科研費(20H02951)、JST A-STEP(JPMJTM20D2)の助成を受けて実施したものです。
用語
※1 包括適応度:
適応度は自然選択における成功の尺度で、1個体が残せる子供の数を示すのに対し、包括適応度は遺伝子レベルの尺度で、血縁個体を通じて残す子供を介して次世代に引き継がれる遺伝子の割合を示す。
論文情報
雑誌名 :
Trends in Plant Science
論文タイトル :
Making sense of the way plants sense herbivores
著者 :
Gen-ichiro Arimura
DOI :
プレスリリース:
https://www.tus.ac.jp/mediarelations/archive/20210215_0956.html
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